リリー(浅丘ルリ子):さっぱり売れないじゃあないか。
寅次郎(渥美清):不景気だからな。
お互いさまじゃあないか?
何の商売してるんだ?
リリー:あたし?歌うたってんの。
あたしも、レコード出した事あるんだけど。ここにないかな。あるわけな
いよね。あハハ。
寅次郎:故郷(くに)はどこなんだね?
リリー:ないね私。生まれは東京らしいけどね。中学生のころから、うちを出
ちゃって、フーテンみたいになっちゃって。
寅次郎:ちょいとした俺だね。流れ流れの渡り鳥か。
リリー:♪流れ流れの渡り鳥♪
(漁船に):おーい。お帰り。
(汽笛):ボー。ボボッ。
寅次郎:どうしたい。昨夜(ゆうべ)は泣いてたじゃあないか?
リリー:あらいやだ。見てたの。
寅次郎:うん。何か、つらい事でもあんのか?
リリー:ううん。別に・・・。ただ何となく泣いちゃったの。
寅次郎:何となく?
リリー:うん。兄さんなんか、そんなことないかな?
夜汽車に乗ってさ、外見てるだろう?そうすると、何にもない真っ暗な畑
の中なんかに、ひとつぽつんと、明かりがついていて、ああ、こんな所に
も人が住んでるんだろうなって思ったら、急に悲しくなって、涙が出そう
になる時って、ないかい?
寅次郎:うん。こんな小ちゃな明かりがスーッと遠ざかって行ってな。あの明
かりの下は、茶の間かな。もう遅いから、子どもたちは寝ちまって、父ち
ゃんと母ちゃんが、二人でしけたセンベイを食いながら、紡績工場に働き
に行った娘の事を話してんだ。心配して暗い外見て考えていると、汽笛が
ボーッと聞こえてよ。なんだかふーっと、涙が出ちゃうなんて事は。
分かるな。分かるよ。
(船を見つめて):父ちゃんのお出かけか。
子ども:お父ちゃん。バイバイ。
バイバイ。お土産買ってきてね。
リリー:ねえ。
寅次郎:うん?
リリー:あたし達みたいな生活ってさ。普通の人とは違うのよね。それもいい
方に違うんじゃあなくて、何てのかな。あってもなくてもどうでもいいみ
たいな。つまりさ、アブクみたいなもんだね。
寅次郎:うん。アブクだよ。それも上等なアブクじゃあねえよな。風呂の中で
こいた屁じゃあないけど、背中の方へ回ってパチンだ。
ねえ。おかしいか?
リリー:面白いね。お兄さん。今、何時?そろそろ、商売にかかんなくちゃあ。
寅次郎:行くのかい?
リリー:うん。じゃあ、またどっかで会おう。
寅次郎:ああ日本のどっかでよ。
リリー:うん。じゃあね。
寅次郎:うん。
リリー(振り返って):兄さん。兄さん、何て名前?
寅次郎:え?俺か?俺は、葛飾柴又の車寅次郎っていうんだい。
リリー:車寅次郎?じゃあ、寅さん?
寅次郎:ああ。
リリー:いい名前だね。
(男はつらいよ11作目:山田洋次監督、渥美清、浅丘ルリ子、昭和48
年8月封切り、北海道網走にて)